大海のサムライ

*1

帝国海軍 装甲巡洋艦 「震天」型*2

改「アラガント級」重衝角巡洋艦「ゴッドノゥズ」*3を取得。
明治三四年度臨時海軍予算にて承認。
1898年5月起工、1899年11月進水、1901年2月竣工、引き渡し。
同型艦無し。

  • 要目
    • 常備排水量:8786トン
      • 水線長:111.1m、全長:120.8m
      • 全幅:18.4m
      • 喫水:7.53m
    • 機関:2軸レシプロ、22,000ihp
      • 速力:22.6knots (強制通風による)
    • 装甲
      • 水線帯:3〜6インチ(ただし艦首部のみ8インチ)
      • 甲板:2インチ(但し艦首部は+2インチ、計4インチ厚)
      • バーベット、砲塔及び砲郭:6インチ
      • 司令塔:10インチ
    • 兵装
      • 6インチ速射砲連装2、単装8 計12門*4
      • 12ポンド速射砲単装8門
      • 2.5ポンド速射砲単装8門
      • 18インチ水中魚雷発射管6門*5
建造経緯

艦隊の後詰めとして計画・建造されたアラガント級衝角巡洋艦をさらに発展させ、より積極的な攻勢衝角戦を企図した艦として設計され、ライアー社ノーフォーク船渠にて建造されていたものである。
当初英国海軍に納入される予定であり、予定艦名として「ゴッドノゥズ(「神知」の意*6。 H.M.S.Godknows)」が当てられていたが、 対露海軍戦備を整えるため「戦艦に対抗可能な巡洋艦」として着目した日本海軍の希望により買収が決定、緊急調達予算により建造途中で譲渡されたものである。

概要

分類は装甲巡洋艦であるが、艦型の割に砲装は小規模で、同種の艦が8〜10インチを主砲としている中、6インチ速射砲を二基の連装砲塔と片舷4基のケースメートで装備している。
その代わり、その目的から察せられるとおりの重装甲であり、また機関出力も強力で、新鋭の防護巡洋艦戦隊とも協同可能であった。翻せば、この速度と防御を求めた代替重量として比較的軽微な砲装に留まったともいえる。
注目すべきは、前級を踏襲して艦前後部に設けられた二つの舵による高機動(及び定針性)と、艦首部、衝角接合部の脇に集中配置された魚雷発射管であろう。これによって、固定式の発射管ながら良好な魚雷の運用実績を残している。

経歴

日露戦争では主力艦隊の一翼として参戦したが、その快速を生かして浦塩艦隊捕捉作戦に増援として派出。
世に言う「常陸丸の救難」等により、陸軍からの感状も多数受けている。
日本海海戦では、壊乱状態に陥ったバルチック艦隊の追撃に縦横の活躍を見せ、小口径砲しかない本艦を侮ってか、停船信号に従わず逃走を続けた戦艦オリョールに対し突入の末、同艦を見事に討ち取っている。
一次大戦では、青島作戦、南洋作戦等に従事の後、第四特務艦隊所属として金剛とともに里帰りを果たし、ジャットランド海戦にて大破した大巡アフリンゲルを介錯するなど、故郷に錦を飾った。
1928年まで一等巡洋艦籍にあったが、その機動性(と重防御)を買われて訓練支援艦となり、特に急降下爆撃隊からは良きライバル*7として評価され*8ている。
1942年半ば、護衛艦艇の不足を補うため再度巡洋艦籍に復帰、武装を12サンチ高角砲連装2基+単装4基、毘式40粍連装機関砲8基及び爆雷120個として再々就役、海上護衛総司令部指揮下に配属された。
南方航路の船団護衛に従事し、潜水艦よりの雷撃を受けること24回、空襲に至っては数知れずであったが、持ち前の舵力を遺憾なく発揮*9し、大きな損害を受けることなく任務を全うした。
戦争終盤は、太平洋航路の壊滅のため日本海側に疎開していたが、ソ連参戦に伴い、在日本海側の軍艦による大連-博多間の避難民強行輸送作戦に参加。シュツルモビクなどによる襲撃を掻い潜り、多くの邦人を脱出させることに成功している。
戦後、武装解除され復員省所属の復員輸送船として運行されていたが、48年8月24日、東舞鶴港出航直後に未掃海機雷に触雷。
艦首部、旧水雷区画より浸水し、十分な応急要員もいなかったことも災いし急速に傾斜を増したため、船長の指示により後進にて浜の海岸に座礁した。負傷者多数ではあったものの死者が出なかったことは不幸中の幸いであり、一部の傷者以外の乗船者は代船「浮島丸」にて無事帰還している。
後に、完全に着底したことが確認されたため、陸岸との間に浮橋を設置し仮設の復員船桟橋(第三桟橋)として使用された。*10
復員輸送の終結後、元乗員及び復員者などによる保存運動が行われ、現在は引揚記念公園の一部としてその姿を見ることが出来る。

舞鶴引揚記念公園
開園期間:通年
所在地:京都府舞鶴市平無番地
交通:JR舞鶴線東舞鶴駅から京都交通バス小橋・野原・田井行きで15分、記念公園下車すぐ(土日・祝日は巡回観光バス利用可能)

参考:http://www.d3.dion.ne.jp/~ironclad/bridge/Tryon/tryon01.htm
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補遺

本艦の運用実績と、電光艇による技術蓄積があってこそ、後の海底軍艦轟天」の成功があったと云っても過言ではないだろう。(ぉ


























ああ、勿論!

USO800規格ですとも!

*1:その長大な艦首衝角をさして、まるで抜き身の日本刀のようだ、と形容されたことから渾名された

*2:HIJMS "Shin-Ten (Heavenquake)"(ex. BR God knows...RN) class, IJN

*3:Mod. Arrogant type heavy ram cruiser "God knows"

*4:射界:正面6、側方8、後方6

*5:前部集中配置

*6:だが、あまりにも長大なその艦首衝角を揶揄した命名(God Nose)の捩りという説もあるが明白な根拠はない

*7:ひどく当てにくい

*8:また、艦爆隊の技量向上に大きく寄与し

*9:米軍からは、「キモイ動きをするやつ」として、"Nyalrathotep"というコードネームまで献上された

*10:映画「岸壁の母」でその姿を目にされた方も多いだろう